土用の丑の日のうなぎは、誰が始めた?考案者とされる3人の人物&エピソード

土用の丑の日にうなぎを食べる。その考案者は誰…?

丼に盛りつけられたうなぎの蒲焼きの写真夏になると、スーパーやコンビニにずらりとうなぎが並ぶ時期がやってきますね。

それが土用の丑の日。

でも、なぜ土用の丑の日にはうなぎを食べるのでしょう?

その起源には複数の説があります。

土用の丑の日にうなぎを食べる起源となったと言われている、3人の人物を紹介します。

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土用の丑の日の考案者(1)平賀源内

土用の丑の日を発案した人物として、最もよく知られているのが平賀源内。

江戸時代中期の人物で、学者・医者・作家・画家・発明家…と、まるでレオナルド・ダ・ヴィンチのように多彩な才能を発揮した異才の人です。

夏にうなぎが売れないと悩んだうなぎ屋さんが商売の相談をしたところ、源内は「本日丑の日」という張り紙を店頭に張るよう提案しました。

現代の私たちにはピンと来ないかもしれませんが、当時は丑の日に「う」の付く食べ物を食べると体に良い

源内の読みはピタリと当たり、うなぎ屋さんは大繁盛!

これが、土用の丑の日にうなぎを食べて夏バテ予防する習慣になったと言われています。

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土用の丑の日の考案者(2)春木屋善兵衛

春木屋善兵衛は、「江戸買い物独り案内」という江戸時代の書物に登場する人物。

うなぎ屋を営んでいた善兵衛は、ある時、大名から大量のうなぎの蒲焼きの注文を受けました。

善兵衛は子の日、丑の日、寅の日と3日に渡って蒲焼きを焼き続け、焼き上がった蒲焼きを保存したのですが、丑の日に焼いたうなぎだけが新鮮さを保っていたといいます。

その蒲焼きを大名に納めたところ大変喜ばれました。以来、善兵衛の店では土用丑の元祖の看板を掲げ、それが土用の丑の日の習慣につながったという説です。

土用の丑の日の考案者(3)大田蜀山人

大田蜀山人、江戸時代を代表する狂歌師です。江戸時代の狂歌ブームを作った人物とも言われています。

そんな蜀山人のところに、ある時、うなぎ屋から、とある依頼が舞い込みました。

それは、うなぎ屋の宣伝のため、土用の丑の日にうなぎを食べると病気にならないという内容の狂歌を作ってくれというもの。

売れっ子狂歌師であった蜀山人に、うなぎのキャッチコピーを作ってもらったわけですね。この宣伝により、土用の丑の日にうなぎを食べる習慣が広まったというのが蜀山人説です。

以上の3人が、土用の丑の日の考案者とされている人物たち。源内と蜀山人のエピソードは、どちらもよく似ていますね。

どれが本当の起源であるかはわかりませんが、時代的には3人とも近いので、どれも事実であり、こうした出来事を重ねるごとに土用の丑の日の習慣が定着していったのかもしれません。

今年の丑の日にうなぎを食べる時は、そんな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。