流産が苦しい時に救われた言葉 私が子供を死なせたと思っているあなたへ

流産で苦しい、辛い思いが忘れられない人へ

私は過去に2回、流産を経験しました。

正確には流産1回、死産1回です。

1回めは7週での稽留流産。

妊娠すれば生まれるものだと信じて疑っていなかった私たち夫婦にとって、自分たちの身に流産という、特殊な事故のように思っていた出来事が降りかかったのは、ただただショックでした。

この時初めて、全妊娠の15%は自然流産になるという、流産の確率の高さを知りました。

 

2回めは、14週での死産。

日本では、妊娠12週以降の流産は死産の扱いとなり、死亡届を出し、火葬をする必要があります。

稽留流産の時は全身麻酔での流産手術(子宮掻爬手術)を受けましたが、12週を超えると手術はできず、陣痛促進剤を使って分娩しなければいけません。

もう死んでしまった我が子を生むために産婦人科に入院し、陣痛に耐えなければならない。

その現実が、死産のショックを余計に大きくしました。

胎児が小さかったためか、陣痛はごく軽いもので済んだのですが、もう息をしていない、動かない、片手に乗るほどの小さい小さい我が子との対面は苦しかったです。

分娩後しばらくは、発作のように一定の時間ごとに涙が出て、止まりませんでした。

 

流産や死産は一定の確率で起こるもので、医学的に予防することはできないし、誰のせいでもない。誰も悪くない。

医師からはそう聞かされましたし、頭では確率の問題なのだとわかっていました。

ただ、それで流産の辛さがなくなるわけでもなく。

誰にでも起こり得ることだったとしても、自分のせいではないとしても、自分の身体で起こったことである以上、どうしても「私が殺した」と思ってしまいます。

子供を失った悲しみは同じでも、夫と妻では流産に対する気持ちが違うのは、まさにその一点でしょう。

私は加害者で、夫は被害者。共犯者ではない。

 

子供に対しては、守ってあげられなくてごめんなさい。

夫に対しては、あなたの子供を殺してごめんなさい。

親と義両親に対しては、あなたたちの孫を殺してごめんなさい。

 

誰も私を責めなくても、一番辛いのはあなただと言われても、殺したのは私だと思うと、逃げられない罪悪感のようなものがいつまでも残るのです。

なんとか気持ちを紛らわせたくて、流産の体験者へ向けた絵本や詩にも少し目を通しましたが、あまり心に響くものはありませんでした。

というのも、「子供は親を選んで生まれてくる」「一緒にいられる期間が短いとわかっていてもお母さんを選んで来たんだよ」という考え方に、私自身がいまひとつピンと来なかったから。

本当に子供が親を選べるのなら、不幸な子供も、心から子供を望んでいるのに妊娠できない人も、もっと少ないのでは?

なぜ生まれないとわかっている母親を選ぶ必要があったのか?

と、現実的な考えが頭をもたげてしまうからです。

でも、死産から少し時間の経ったある日、とある尼僧の方から聞いたお話は、なんだかストンと腑に落ちました。

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流産の悲しみから救われた言葉

その方のお話によると…

人は輪廻転生をする度に、神仏から課題を授かり、母親のお腹にやどります。

流産した子の課題は、流産。

死産した子の課題は、死産。

これは、どの母親のお腹に宿っても同じ。

そして、課題を授かった魂にとっては、お母さんのお腹で課題をクリアできたことこそが幸せなことであり、課題を達成した喜びを持って天に帰っていくのだと。

 

自分が子供を死なせてしまったという気持ちが拭えない私にとって、「どの母親のお腹に来ても同じ運命だった」「魂は悲しんでいない」というお話は、少し救われたというか、許された気がしました。

このお話が、誰の心にも響くかどうかはわかりません。

でも、私と同じように、流産や死産の辛さを乗り越えられずにいる多くの方。

自分のせいだ、罰が当たったのだとご自身を責めている多くの方の、どなたか1人だけにでも届けばいいと思い、ここに記させていただきました。

同じ苦しみと悲しみを経験した者の1人として、あなたがいつか元気になれるように、心からお祈りしています。